関西外国語大学短期大学部とマーセッド大学の間で結ばれた学位留学プログラム(ダブルディグリープログラム)の第一期生の学生達が、約一年の留学期間を終え、無事にマーセッド大学を卒業しました。
本プログラムでは、日本で一年間の大学生活を過ごした後、アメリカでもう一年間指定のカリキュラムを履修し、日米大学双方の単位を互換することで、関西外国語大学短期大学部とマーセッド大学、双方の準学士資格を同時に取得することができます。
二年間(セメスターの開始時期が異なる為、実質二年半)で両大学の学位を同時に取得できるだけではなく、プログラムをアメリカで終えることになる為、プログラム終了後にアメリカの4年制大学への編入や、OPT(Optional Practical Training)を利用したアメリカでの一年間の就業経験の機会が得られる点が特徴となっています。
関西外国語大学は「国際社会に貢献する豊かな教養を備えた人材の育成」を建学理念に掲げ、現在、グローバル社会において語学運用能力が高く専門性を備えた国際人の育成をテーマとして、世界54カ国・地域の380大学と単位互換協定を締結、年間約2,300名の学生を日本から海外の大学機関へ派遣し、約700名の学生が海外の大学機関から同大学に派遣されています。
当プログラムを利用して留学を実現した学生の一人、仲美由紀さんは、関西外国語大学からマーセッド大学の授業料とホームステイ費の全額奨学金を得て留学。当協定の第一号の学生として、2016年8月からの秋学期と、2017年1月からの春学期をマーセッド大学で過ごし、5月に晴れてマーセッド大学を卒業しました。日本での単位移行の手続きを待ち、関西外国語大学短期大学部からも準学士号を取得する予定です。
一年足らずという期間の中で、後悔のないよう留学生活を駆け抜けた仲さん。今回は、仲さんがアメリカで得た「学び」に迫りました。
プログラム第一号として渡米
ダブルディグリープログラムの記念すべき第一号として渡米した仲美由紀さん、出身は福岡県豊前市。柚子胡椒の名産地としても知られる農業と漁業が盛んな小さな街から、国際教育の名門として知られる関西外大短期大学部に進学。日本では短期大学部英米語学科に所属し、一年次のガイダンスで当プログラムについての案内を受けると、二年間で双方の学位が取得できるという点に興味を持った。一年次に優秀な学業成績を残し、厳しい専攻試験を潜り抜けた結果、全額奨学金(フルスカラシップ)を獲得。留学準備コースの授業を受け、留学に備えた。
2016年7月末に渡米し、8月に始まる秋学期からマーセッド大学に入学。アメリカではInternational Studies(国際学)とScoial Beheivior Scienceを専攻した。
「言葉」の壁
十分な準備を伴って臨んだアメリカ留学だったが、待っていたのは前途多難の幕開けだった。アメリカで最初に履修した英語のクラスで、仲さんは授業の序盤に自信がないところを担当教員に見せてしまう。「あなたは、このクラスのレベルではないのではないか」という助言を受け、授業のレベルこそ変更しなかったが、別の教員の授業を履修することになった。アメリカでは、各学生のレベルに応じたクラス分けがなされることから、教員の助言は善意からの言葉だったのだろう。しかし、仲さんの英語のレベルは当時から十分にあり、その自分の実力に対する自信のなさと消極的な態度が、アメリカの社会では落とし穴となった。
そんな時に助けとなってくれたのが、マーセッド大学のInternational Student
Service(留学課)だった。大学留学課が親身に相談に乗り、新しいクラスを履修、教員の人柄にも助けれられ、最終的には最高評点となる「A」を取得した。この一件を経て、仲さんは積極的に授業に臨むようになった。留学前から、「弱気になっていたらアメリカでは通用しない」とは聞かされていたが、弱い自分がいることに改めて気付かされたという。
そうして困難を乗り越えていく中で、関心の持てる授業にも出会った。一番興味を持った授業はアメリカ史。南北戦争で南軍が勝っていたらどうなっていたか等、歴史を踏まえた上で、アメリカ人の学生達とのディスカッションの機会もあった。アメリカでは、教員と学生、そして学生同士が頻繁にコミュニケーションをとる形で授業を進めていく。学生からの自主的な発言も活発だ。アメリカならではの授業風景に刺激を受けた。
いくつか受けた英語の授業の内、環境についての関心が強い教員の授業では、環境問題について文章を書く課題も出た。日本で環境科学の授業を履修していたことが、教養の部分で仲さんを助けた。
一見、何気ない留学中のエピソードのようにも聞こえるが、仲さんはこれらの経験から、一つの核心に辿り着いている。
「いくら英語力があっても、自分の考えや言いたいことがなければ、人と話す機会は増えないということに気づきました」
留学生が見逃しがちな、しかし、当然の事実である。インプットがなければ、アウトプットはない。いくら英語を綺麗に話せるようになったところで、自分自身の中に「語るもの」を持っていなければ、その英語力は無用の長物に過ぎない。「英語を話せる」というスキルそのものを得たところで、多くのアメリカ人と同列に並ぶだけである。英語力よりも教養と経験、そして哲学が、人に「言葉」を与えるのだ。
積極性と語るもの、この二つが自分に足りないと気づいたという仲さん。困難に直面したからこそ見えた、克服すべき課題だった。
生活の中で得た学び
そうした壁にぶつかる中、アメリカでの生活を通して、現地の文化や考え方を知る機会を多く得た。
・ホームステイ
大学での経験を通して己を磨いていく日々の中で、憩いの場所はホームステイ先だった。ホストファミリーには、様々なタイプの家庭が存在しているが、仲さんのホストファミリーは、皆でコミュニケーションを取る雰囲気のご家庭で、会話を持つ機会が多かったという。幸い、毎晩のファミリーディナーも口に合い、一緒に出かけることも多かった。
ホストの家で過ごす時間が大好きだったと語る仲さん、ホストファミリーからも、ホストメイトからも学ぶことが多かった。ホストは若い頃から様々なことに挑戦しており、自分の好きなことを一生懸命にやる、自信があってブレない姿勢は、自分にはないものだった。
・異文化交流
ホームステイ以外の生活でも、アメリカ人の友人と貴重な時間を過ごす機会を得た。マーセッド大学はコミュニティカレッジという性格上、学生のバックグラウンドや年齢層が幅広く、クラスメイトの意見から学ぶことも多かった。教員との距離も近く、教員に誘われてランニング大会に出場するなど、コミュニティの人々と繋がるきっかけも掴んだ。アクティビティとしては、大学で日本語の授業を履修しているアメリカ人学生とパートナーを組む、Conversation
Partnerプログラムに取り組み、互いの言葉や文化を共有する異文化交流の場も得た。春休みには、自主的にワシントンDCを訪れ、博物館や歴史資料館を見学した。博物館は入場料が無料となっており、アメリカでは学びの機会が豊富に与えられていることも知った。
・「国際人」
仲さんは、アメリカ現地で働く日本人の姿もまた、刺激になったと語る。
「 日本では『国際人になれ』という教育が主流ですが、自分が抱いていた『国際人』のイメージと、アメリカで実際に活躍している日本人の姿は違ったものでした。『国際人』というと、ぼんやりと違う国で働く人というイメージしかありませんでしたが、こちらで働いている日本人がどのような志で自分の仕事と向き合っているかを知ることができました」
留学の醍醐味の一つは、人との出会いだろう。留学先でのこうした人々との出会いを通して、やはり英語力だけではなく、自分のやりたいことやブレない使命を持っていることが大事だということを思い知った。
そうした経験を経て、二つの学位を得た仲さんだが、未だ若干20歳。19歳で海を渡った昨年、勉学で結果を残すことを大前提として留学に臨んだ。
「その上で、根本的に考え方が違う国で学び、その考え方を吸収すること、アメリカという国を学ぶことを目的としていました。10ヶ月間では知れることは限られていますが、多少は学ぶことができたのではないかと思います」
「まだまだですが、少しは強くなれたかと思います。将来は、どこに行っても生きていけるような人になりたい」
今回の留学で自分はまだまだだということを痛感し、周りの人々のレベルの高さに圧倒されたと語る仲さん。
「それでも、そこから少しでも吸収して、自分で納得できる人間になりたい」
終始、あくまで謙虚な姿勢で、目紛しい留学生活を振り返った仲さん。僅か10ヶ月の間で、多くの留学生が見過ごしてしまうであろう大切な感覚を得たはずだ。「自分に語れることはない」と、遠慮がちに話すその「無知の知」こそが、今後、彼女の「国際人」としての最大の武器となっていくだろう。
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