日本では、男子プロバスケ・Bリーグの開幕に期待が高まる一方、8月に開催された米・ジョージワシントン大学と男子日本代表の親善試合では、日本代表が3連敗を喫するなど、日米の力の差が浮き彫りとなっている。
そんな中、ブラジルで開催されたリオ・オリンピックでは、女子バスケ日本代表が8強に進出。準々決勝では、今大会で6連覇を決めたアメリカ代表に敗れたものの、東京オリンピックでのメダル獲得に大きな可能性を残す結果となった。
もう一度、バスケを
女子バスケがプロとして認められ、高い人気を誇るアメリカ。今回の日本代表でも、最も輝きを放っていたのは、米女子バスケリーグの最高峰・WNBA シアトル・ストームに所属する渡嘉敷来夢(25)といっていいだろう。本コラムでもお伝えしてきたとおり、バスケ界では男女を問わず多くの選手がアメリカでの挑戦を続けている。
カリフォルニア州のセントラルバレーに位置するここマーセッドにも、アメリカのバスケに挑む一人の女子バスケ留学生がいる。
島袋あらたさん、沖縄は久米島出身。小学校3年生でバスケチームに入ると、久米島高校を卒業するまでバスケに熱中した。その後、トレーナーになる道を模索して渡米したが、思い描いていた世界と現実の乖離に直面した。それでも大学付属の語学学校に通いながら大学入学を目指していた頃、大学内で開催された女子バスケ部の試合を観戦する。「もう一度バスケがしたい」。しばらく眠っていたバスケ少女の心に火がついた瞬間だった。もちろん、留学生活の中で、部活に入れば英語を話す機会が増えるという期待もあり、入学試験でもあるTOEFLテスト合格後の女子バスケ部への入部を決意した。
バスケ競技者の現実
日本のバスケ競技者人口は63万人、女子の競技者数に限っては27万人と、サッカーやバレーを超えて国内最多となっている。一方で、競技者人口全体の9割近くが18歳以下となっており、18歳以上の競技者人口が6万人と極端に先細りしている。その競技者数に反比例する「受け皿不足」が叫ばれて久しく、島袋さんのように、高校卒業後にアスリートとしての自分を「封印」してしまうケースは多い。
NBAでは、2006年から高卒一年目以内の選手のドラフト指名が禁止されており、即戦力として期待されている選手でも大学に進学するケースが多い。そうでなくともアメリカは、スポーツがショービジネスとして発達し、大学スポーツがプロ並みの興行を実現している国だからこそ、プロを目指さずともライフワークとして競技に関わり続けることは何も珍しいことではないのだ。また、大学に通いながらプレーを続けることで、ビジネスや体育学を学び、スポーツマーケティングやコーチングなど、現役を退いた後の将来の自分の姿と向き合うことができる点も、競技者にとっては魅力である。
島袋さんの挑戦
島袋さんは2015年の秋から大学の女子バスケ部に入部、10月には見事ロースター入りを果たし、背番号「5」を背負った。男子では3名の留学生がロースター入りを果たしたが、女子では島袋さんが孤軍奮闘。体格やスピードの差を技術でカバーすることで、チーム内での自らの役割を見出した。
自らの実力を示し、掴んだロースター入り。チームメートの友人もでき、食堂で一緒に時間を過ごすことも当たり前の光景となった。日本のバスケ部で得た経験との最も大きな違いは、そのオープンな姿勢だったという。練習中には、プレーヤー同士が真剣にお互いの意見をぶつけ、時には本気の喧嘩になることもある。それでも練習後には握手を交わし、日常に戻っていく。コーチ陣も留学生である島袋さんが溶け込みやすいよう、積極的にコミュニケーションをとってくれている。そうした姿勢に呼応するように、島袋さんも分からないことがあれば直ぐに質問をするように心掛けているという。
2015-2016シーズンは、1年生ながらシューティング・ガードとして29試合中25試合に出場。チームのプレーオフ進出、北カリフォルニア16強入りに大きく貢献した。2016年の秋は、いよいよコミュニティカレッジでは最終年となる2年目のシーズンを迎える。「1年生の留学生」だった昨年とは違い、16強入りの経験を背負う2年生として、1年生をリードする責任と重圧が「5番」にのしかかる。島袋さん個人としては、成績によっては4年制大学からの奨学金獲得にも繋がる大事なシーズンでもある。
人口1万人弱の島から海を渡り、異国の地で挑戦し続ける若者が、ここにいる。
バスケの本場・アメリカで、もう一度挑戦すると決め、行動に移した若者たちがいる。
「バスケは高校卒業まで―」
心のどこかでそう決めてしまっている人がいるなら、今一度、自分が持つ可能性について、考えてみてほしい。
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