前回の当コラムでは、アメリカにおける奨学金の潤沢さを通して見えるこの国の教育に対する姿勢と、実際に現地で留学生が利用できる奨学金を紹介した。今回は、アメリカの奨学金が充実しているその背景と、その中で奨学金を獲得してきた留学生達の取り組みに迫る。
前回紹介したとおり、留学生がアメリカで受けられる奨学金は、大きく4つに分けられる。主にアカデミックな学生へ向けた大学主催の奨学金、留学生へのサ ポートに力を入れている大学で見られる留学生向けの奨学金(授業料免除)、スポーツと学業で結果を残した2年制大学の学生がオファーを受ける4年制大学か らのスポーツ奨学金、そしてYES等の民間企業や民間団体が主催する奨学金である。
では、何故、ここまでアメリカの奨学金制度は充実しているのだろうか。その根底にあるのは、アメリカ特有の「ボランティア精神」と、それと対をなしているとも言える「実力主義」によるものである。
ボランティア精神
アメリカではボランティア精神が強く、多くの慈善団体が設立され、市民も積極的にボランティア活動を行うことは有名な話である。前回ご紹介した通り、アメリカでは地域の団体や民間の団体が基金を設立し、そうした基金が多くの奨学金の財源となっている。市民の手によって、財政的に困難な状況にある学生を支援する流れが連綿と受け継がれており、こうした地道な取り組みによって、アメリカにおける教育を受ける機会は担保されている。
また、女学生向けの奨学金や、特定のエスニック集団に所属する学生へ向けた奨学金も多く設置されており、社会的に不平等な地位に置かれている人々への共助的な取り組みが積極的に行われていることも、その姿勢とは裏腹に見逃されやすい点である。
実力主義
一方で、上記のような奨学金も多くの場合、給付対象となる学生は成績優秀者に限られる。経済的に就学が困難な学生を対象にした政府による給付型奨学金(Financial Aid)の取り組みは、学生達を公平に教育のスタート地点まで誘導するが、その先に上記のような共助的な仕組みの奨学金を獲得できるかどうかは、学生自身の努力にかかっている。この点が、多くの学生が横一線に借金をして教育を享受している日本式の奨学金システムとの違いである。
競争のスタート地点に立つために公助の仕組みが設置されており、その上で学生自身による自助が求められ、その先に共助の仕組みが待っている。初めて自分の努力や行動によって自分の人生を決められる岐路に立たされ、その機会の尊さに気付いた学生たちは、目の色を変えて勉学やスポーツに取り組む。与えられた機会を見逃し、他人の足を引っ張ることに終始していった人間ではなく、自分自身と向き合い、努力を積み重ねた学生たちが奨学金を獲得し4年制大学へ編入していくことは、アメリカでは自然な流れである。
「ボランティア精神」と「実力主義」、この2つの精神は、一見、相反し合う感覚であるようにも思えるが、その根底にあるのは「強さ」である。イギリスの植民地から独立する形で成立したアメリカという国では、大きな権力から身を守らなければいけないという意識が根強く残っている。アメリカで銃規制が進まない背景には、市民は政府から自身を守るために武装する権利があるとするジョン・ロックの「革命権」思想の色濃い影響がある。イギリスという巨大権力からの独立のために市民同士が支え合うという共助の姿勢が、アメリカ特有のボランティア精神を生んだとする説も強い。一方で、助け合うだけではなく、イギリスと闘わなければ独立は得られない。そうした国家成立までの特殊な背景こそが、アメリカにおける「強い」意識を生んだのである。
留学生が奨学金を獲得するために必要なもの
では、こうした精神を持った国の中で、留学生たちはどのようにして奨学金を獲得しているのだろうか。奨学金の申請時に求められる書類は、基本的に以下の3点である。
①成績証明書
②エッセイ
③推薦状
成績証明書については、前述の通りであり、一定以上の学業成績を収めていることが奨学金獲得の大前提だ。留学生は、優秀な学業成績を収めて初めて奨学金獲得のスタート地点に立てると言ってよい。この上で、肝となるのが、多くの場合に提出を求められるエッセイである。エッセイのテーマはあらかじめ定められていることがほとんどで、自らの目標や、その実現の為に現在取り組んでいる活動などが問われる。マーセッド大学主催の奨学金における募集要項では、「あなたがどれだけ金銭的に困難な状況にあるか、ということではなく、どのようにその困難を乗り越えるための努力をしてきたか」について記述するよう助言がなされている。アメリカにおける奨学金とは、援助を「乞う」ものではなく、自らの行いに対する「見返り」とも呼べる投資を求めるもの、という意識が必要なのだ。
奨学金を獲得した留学生のほとんどが、忙しい学業の合間を縫ってクラブ活動やスポーツ活動、ボランティア活動に取り組んでおり、そうした活動の中で得た経験を元にエッセイを執筆している。奨学金のチャンスが巡ってきてから、「書くことがない」と慌てることにならないよう、普段から留学生活を無駄にすることなく、活発に活動を行うことが推奨される。
また、細かい点では、エッセイの提出前に必ず現地の方に文章の添削をしてもらうことも重要なポイントになる。最後まで手を抜かずに申し込みに臨めるかどうかが奨学金獲得の鍵となる。
最後に、こちらも多くの場合に提出が求められる推薦状だが、推薦状ほど学生の人間性が反映される書類はない。自分自身で書くエッセイは、自分が取り組んできた活動について如何様にも書く事が出来るが、推薦状についてはそうはいかない。アメリカでは、教員などに推薦状の作成を頼むと、気さくに書いてくれる場合が多い。その反面、推薦状を書く人間の学生に対する評価が率直に書かれることが多い。日本の推薦状のように、どんな学生でも良い面だけを切り取って書いてもらえるということは、ほとんどないと言っていいだろう。
4年制大学への編入に際しては、複数名の人物からの推薦状を提出するよう求める大学もあり、人間関係の構築と様々なフィールドで交流を持っておくことが求められる。
スポーツ留学生の場合、エッセイには大学の部活動やサマーリーグなどを通して得た経験を書くことが出来る上、コーチに推薦を頂くこともできるだろう。そうした面では他の学生よりも恵まれているとも言えるが、スポーツ奨学金においては学業とスポーツの成績が同時に評価されるということも忘れてはいけない。また、多くの場合、スポーツ奨学金はコーチ推薦によるものとなっているが、コーチは学生選手の成績や練習態度を見て4年制大学へのコーチ推薦を行う。スポーツ留学生ではない学生同様に、相応の努力が求められるのである。
以上が、アメリカの充実した奨学金制度の背景にある精神と歴史、そしてその中で奨学金を獲得した留学生たちが充してきた条件である。少しでも多くの学生がこうしたアメリカの精神を理解した上で、自らの手で奨学金を掴み取り、留学生活の一助としてくれることを願う。
留学生の親御さんにとっては、奨学金は家計を助ける大事な役割を担うことだろう。だが、学生本人にとって、アメリカという国での奨学金獲得は、自らの努力と実力によって他者からのサポートを得るというプロセスであり、そうした経験の中で得られる「自尊心」こそが、その後の人生において何物にも代えがたい力となるだろう。
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